KOWAれかけのRadioその1
投稿者:KOWA&十五夜 投稿日:3月17日(日)07時22分52秒
KOWA「いやぁ。下の二人、締めが綺麗すぎるよ!(注1) たつきとの対談(注2)とはえらい違いだなおい。」
十五夜「カキコの時間帯を見てくれよ。これは何かが降りてきちゃう時間だから(笑)」
KOWA「ってことは、今俺たちにも何か降りてくるってわけか。うーむ、どうなんですか。同じハガキ職人(十五夜には負けるが)としてさ、こういうときに降ってくるインスピレーションって」
十五夜「ポイントはねえ、正気になってから深く考えない内にハガキ書いて出しちゃうってことだな。冷静に読み返すとホント赤面モノだから(笑)。でも採用率は高い!?」
KOWA「俺は十五夜とかきくとほどアニラジにはまる時間が長くなかったからなぁ。いや、ハガキ出してた時代は凄かったよ? その、情熱みたいなモノはさ。だから、そのまま、だだだだーっとハガキ書いちゃってたね」
十五夜「俺はさあ、考え始めるとなんか落ち着かなくなってくるんだよ。だから机の前を行ったり来たり歩いてネタを考えてた。思いついたらパッと机に座って情報カード(注3)に書き込むんだ」
KOWA「実に君らしい(笑)。俺はもっと一気に書いちゃうタイプでさ。いや、一時期君が自分のことをベートーベン派だと。んでもって俺がモーツァルト派だと、そういったのを何となく覚えているのよ。ああ、まあそんな感じかなあと」
十五夜「そんなこと言ったか? 俺は忘れた(笑)。でも俺の方法には問題があってさあ、家族がいるときは出来ないっていう。まあ、そうでなくても家族のいるときにポエムなんか考えらんないけどな(笑)(注4)」
KOWA「まったくだ(笑)。でも、夜中寝ようと思って布団に潜り込んだ時って、妙にアイデア浮かんだりして、こまらねえ? ああ! 寝たらわすれちまう! みたいな」
十五夜「それは分かる! んで寝たらホントに忘れちまうのな(笑)。そういうときは精神の安定のためにもメモして寝るのがいいのかも」
KOWA「そうなんだよね、でも起きたら起きたでまた、眠れないんだ。俺はそういう状態になることが多くてさ、単にハガキのネタ考えている時だけじゃなくって、なんかものすごい映画とか、本とか見たときもそうなるの、おまえに借りた『飛ぶ教室』(注5)のCDなんか、もう凄かったよ、夜があけたもん。マジで」
十五夜「う〜ん。あれを聴いたときは俺も熱病に罹ったような一週間を過ごしたな。幸福な熱病だったけど。もう気持ちとして何か寝てる場合じゃないっていう感じで、思考が止まらないんだからどうしようもない」
KOWA「そうそう、こんな言い方を野郎同士で話している時になんだけどね、そういった感情は、もはや恋心にも似た感覚だと思うのよ。その作品だとか、ラジオのパーソナリティだとかに対して、自分の気持ちをどう伝えてやろうか。みたいな気持ちがあふれてる状態ってワケでしょ? もうそれがたまらなくてね。いや、好きなんだけどそういう状況にいる自分が」
十五夜「ははは、君は実際の“恋心”でそういう状態になることが一番多いんじゃないの? でも、きっと眠れぬ夜というのは理性と本能のせめぎ合いなんだな。誰かのことを考えてるはずがいつの間にか自分のことを考えてる。その逆もまた……」
KOWA「そうそう、分かるよ。ここで一つの例なんだけどさ。ううん、言うの結構迷う所なんだけどさ。最近は、そういう気持ちになれる機会がなんだか少ないなぁって感じるのよ。それは、まさしく俺らがラジヲとか聴いてて、思春期真っ盛り!みたいな時期と比べてなんだけどね。たとえば、好きな人がいたとして、つうか、いるんだけど(笑)、その人に伝えなきゃ! 伝えなきゃ! と、いう気持ちは前ほど湧いてこない」
十五夜「む、それは……それはまあ俺も分かる。愛っていうのは本質的に寄る辺無きモノなんだ。なぜなら人間が本質的に孤独であるから誰かと一つになりたいと願う、でも人間は本質的に主体性が喪失することを恐れるから誰かと一つになることに躊躇する。愛がこの矛盾そのものであるからには、想いを伝えることと伝えないことは選択として全く等価値なんだろう。きっと俺たちは、主体性を守りたい時期なんじゃないか?」
http://思春期に少年から大人に変わる.com (注6)
KOWAれかけのRadioその2
投稿者:KOWA&十五夜 投稿日:3月17日(日)07時25分36秒
この書き込みは下の“僕たちのラジヲデイズ”と“KOWAれかけのRadioその1”からの連続書き込みです。下の書き込みから読んで下され。(注7)
KOWA「ああ、それは本当にそうだ。すっと、理解できるね。うんうん。俺はね、そうやって相手の気持ちを知ろうとしなくなってたのは、相手の気持ちを受信する部分っていうのが、昔に比べて随分成長したからだろうなって思ってた。その、相手が俺が好きなのも分かるなって(笑)。ひどくストーカーみたいな事を言っているようにみえますが、でも、ホント。なんとなく。分かる気がするのよ。たとえば、愛だ、恋だは別にしても、君と俺の間柄(注8)だって、なんか言わなくても分かる部分はたくさんある訳よ。そうおもわない?」
十五夜「でも逆に言葉にして伝えてしまうことを恐れる気持ちもあるからね。こんな話も何かが降りてこないとなかなか出来るもんじゃない(笑)」
KOWA「新聞の届く音が聞こえる時間ね(笑)。でも、そういう話がしたいな。と思った時は、自然に俺たちは集まってた様な気がしますよ。ホントに。それだけはありがたいと思ってる。えーと。ハガキの話だったよな?(笑)」
十五夜「そうでした(笑)。でもジャック・デリダ(注9)や東浩紀(注10)の思想のキィ・ワードで葉書や郵便的ってのがあるから。要するに人と人とのコミュニケーションのある種の象徴だね、ハガキってのは。返事がくる保証の無い、寄る辺無きメッセージ。愛と一緒さ……」
KOWA「その余韻はなんだ(笑)。でもね、昔はいろんな人たちのコミュニケーションっていうのは、ホントハガキみたいな郵便物だったわけでしょ? 今となってはメールとか、携帯とかあるけどさ。そうやって、自分の気持ちを誰かに伝えて、その返事が返ってくるのを待っている。それがドキドキで、わくわくなんですよ。それこそ夜も眠れないくらい。それに、こうやって俺たちがしゃべっていることをこうしてBBSに書くってことは、それを誰かに伝えたくて書いてる訳じゃないですか。ちがうかな? どっちでもいいや。みんなこの文章をみろ(笑)」
十五夜「でもそこは大切でしょ。返事が来る保証がなくてもさ、こっちが返事が来るのを期待するか、返事なんか来なくてもいいやって思うか。その気持ちに守るべきものがあるよ。簡単にメッセージが出せる時代になっても、大事なのは返事が来てほしいって願う気持ちでしょ? ホントはメッセージの中身なんかよりもね」
KOWA「なるほどねー。それで、その返ってきてほしいよって気持ちが、すごくすごく強いから、俺たちの投稿した葉書はラジオで読まれたんだな。パーソナリティに届いたんだよな。まあ、ある種の欲であるとは思うけどね。その返ってきてほしい気持ちを精一杯込めるために、夜中起きて何かが降りてくるのを待つわけだ。それはもう心から」
十五夜「で、究極的にはさ、番組内でその葉書が読まれなくても、“返事は来る”。分かるだろ?」
KOWA「分かるよ。ああ、それは君も思っていたことか。いやぁ、面白い話になってきてしまった。きくとの会話が綺麗すぎたあてつけに始めたのに(笑)ながいつきあいじゃないとわからん会話かなぁこれは? どうなんだろうねぇ。あのさ、俺が今すごーく興味をもっているのは、この文章をラジオパーソナリティを今やっている今井氏(注11)が見たときどう思うかなんだよね。下のきくととの対話とも併せてさ。」
十五夜「おっと、それは書かなくてもいいことだったかもな。だって、絶対に“返事は来る”んだから」
http://ポケットには今にもこぼれ落ちそうなくらいのハートブレイク.com (注12)
・注釈
注1:このコーナーにあるあらいきくととハーベストの対談「僕たちのラジヲデイズ」のこと。この対談はそれと連続して『原始の花嫁』BBSに書き込まれた。実はこの日、我々はきくと宅に集まり、旧友と再会なんぞをして妙なテンションで夜を明かしていた。 ↑
注2:たつきとの対談は同コーナー収録。下のふたつのリンクを参照のこと。↑
「最近のマンガの初回版ってどうよ?」
「ギャルゲーのアニメ化について」
注3:情報カード
文房具屋などで売っている罫線の入った厚紙。理論的に効率を追及したメモ用紙である。レポート、論文などの執筆の際に使う。その昔の『情報整理学』の成果として誕生したのがこの情報カードで、大小いくつかのサイズがありB6サイズのものを特に「京大カード」と呼ぶ。十五夜はそれより一回り小さいものを愛用していた。官製ハガキと同サイズなので、アイデアを書き留めるだけでなく、白紙の裏面を使って正確な下書きを作成することができた。これにより読みやすくまとまったネタを書くことができ、書き損じも防いでいたのである。現在『情報整理学』がコンピューターの使用に関する学問になっているのと同様、ラジオへの投稿はほとんどEメールになっているので、「ハガキに書く」という行為そのものが消えつつある。その点では「ハガキの下書き」としての情報カードの利用も無意味になっているのかもしれない。それでも、ラジオにおいて「ハガキに納まる長さの文章」が採用しやすいネタの基準であることには変わりないので、思い付いたアイデアを書き留めるだけのメモ用紙以上の利用価値は未だにあるだろう。↑
注4:これは仲間内で〈はがき職人・十五夜〉の代名詞となっている‘「ときメモ」オープニング・ポエム’のことを踏まえた内輪ネタ。詳しくは「僕たちのラジヲデイズ」とその注6を参照のこと。なお、この対談が行われた時点ではまだ神田朱未の「もっと・モット!ときめきメモリアル」はスタートしていないので、あくまでもプレミアムCDのオープニング・ポエムのことを指している。
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注5:『飛ぶ教室、その他の短編』マリン・エンターテインメント(MMCM-0001)
白倉由美のリーディング・ストーリー短編集CD。主に彼女が手掛けたラジオ番組の中で放送されたものを集めたオムニバス盤。桑島法子、桂川千絵、前田千亜紀、飯塚雅弓、中川亜紀子、岩男潤子、宮村優子らが白倉の書いた短編をリーディングしている。初回限定として白倉のマンガ作品「飛ぶ教室」とリーディング・ストーリーの台本が載った小冊子がついていた。声優関連CDとしてとらえるにはあまりに異色と言える内容だけに、たいしたプロモーションもなくひっそりと発売された。そのため現在ではネットオークションなどでプレミア価格で取り引きされることもあるようだ。
『飛ぶ教室』を現在から振り返って考察してみると、マンガ家として物語れなくなった白倉が小説家として物語りを取り戻すためのリハビリテーション期の作品、と位置づけることができる。収録作の中には自分のマンガ作品の翻案(「飛ぶ教室」)や、あきらかな盗作(「オーギーの最期の夏」)などもあり、彼女の物語回路が未だ機能不全のままであることは明らかだ。一方で、これらの作品群は事実上の復帰第一作『夢から、さめない』完成後に書かれたものであり、彼女が「一番書きたいものを書いた後に作家は何を書けばいいのか」というジレンマをも抱えていたことは想像に難くない。注目すべきは、これら収録作がはじめからリーディング・ストーリー用に書かれたという点だ。すべての作品が一人称であり、また登場人物ふたりによる対話が中心となっている。この対話を二人の声優に演じさせている作品もいくつかある。ここには「作者の視点」は存在しない。作品がリーディングされ、ダイアローグが積み重ねられることで物語は進行する。そこにあらわれるのは物語り手としての登場人物のみであり、物語る作者は消去されているのである。言い方を変えれば、マンガ家であった白倉が物語りの危機に直面したとき選択した創作法は、登場人物に100%感情移入することであった。だからこれは白倉の物語ではない。「彼ら、彼女ら」の物語なのだ。リーディング・ストーリーという表現であったことは、そのような表現をより完全なものにした。白倉は語り手という立場を声優たちに仮託することが出来たからである。
よって、このCDを単純に“声優の企画物”として見ても、その価値は変わることはない。タイトル・トラック「飛ぶ教室」では岩男潤子が驚嘆すべき表現力を披露している。彼女の持つ才能があますところなく収録された良作である。ダイアローグの相手を努める桑島法子もそれに呼応し、二人のキャラクターが感応し引き合う音の世界を見事に創り出している。「デパートのアリス」は飯塚雅弓の一人語り。“アリス”のことを回想するオープニングとエンディングの大人視点の語りと、本編の子どもらしいイノセントな一人称の対比が鮮やかで、永遠に孤独な少女である“アリス”の悲しみを柔らかに伝えてくれる。中川亜紀子による「私はその瞬間まであなただけのものだった」は、他では見られない彼女の一面を楽しめる作品。中川の時にささやくような、時につぶやくような、空気に声が消え入ってしまいそうなリーディングは主人公の繊細さを痛々しいまでに表現している。「オーギーの最期の夏」は前田千亜紀と桑島法子によるリーディング。この作品の中盤はミラン・クンデラの『存在の耐えきれない軽さ』からの盗用であることはひとまず置こう。前田千亜紀は男性役を演じていながらも独特の透明感のある声で中性的な魅力を感じさせ、不思議な作品世界を生みだしている。桑島の芯が通っていながらもあくまで女性的な声との絡みが面白い。桂川千絵による「約束のオーナメント」は『夢から、さめない』の中の一章から。甘いテイストの裏につらくせつなくかなしい感情がにじみ出す。桂川の甘いリーディングは、いつまでも甘い優しさに包まれていたいという少女・空音の願いそのものである。宮村優子の「冬の教室」は後に同名の長編リーディング・ストーリーとして発表されることになる作品の雛形。宮村の日頃のイメージとはかけ離れたこの作品を聴くにつけ、彼女はここで演じたような男性キャラクターにもっと積極的に挑戦すべきだったのではないかという思いを強くする。
リーディング・ストーリーCD『飛ぶ教室』は声優ブーム、あるいはアニラジブームの中で生まれた異色の企画盤である。現状、声優という存在の売り方は単なるアイドル歌手のそれとなんら変わらない。しかし、声優とは本来歌手とは異なる才能を持った人たちではなかったか。その意味で声優の声優たる魅力をここまで伝えることに成功した『飛ぶ教室』は価値ある名盤と言えよう。惜しむらくは、このような企画がファンの間に広く受け入れられないままに消えていってしまったことだ。実は白倉由美は自らのラジオ番組内で様々な声優とリーディング・ストーリーを発表し続けていたが、その多くがCD化されないまま今日に至っている。それでも『東京星に、いこう』Vol.1〜3、『エンジェル・ボイス・グラフィティ ポケット・ラブ』Vol.1〜3、『MADARA天使編「麒麟」』、『Baby Baby』、『冬の教室』などでリーディング・ストーリーの世界に触れることができる。↑
注6:徳永英明の1990年のヒット曲「壊れかけのradio」からの引用。この部分は印象的なサビの一節。同曲はアルバム「JUSTICE」収録。注1のきくと×ハーベスト対談が最後を曲の引用で締めていたのを意識した上で、ラジオに関係する曲から引用ネタを選んだ。↑
注7:
この一文は新しい書き込みが上に上にと追加されていく原始の花嫁BBSの仕様上書いたもの。書き込み時には「KOWAれかけのRadio2」が上に来るため、このように表記した。
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注8:
プロフィールなどにも書いてあるが十五夜とKOWAは小学校1年生からの腐れ縁である。今も昔も、二人してやってる事はたいして変わっていない。
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注9:ジャック・デリダJacques Derrida(1930〜 )
フランスの現代思想を代表する哲学者。〈脱構築〉の概念で伝統的な西洋哲学、形而上学を批判し、ポスト構造主義時代の先陣を切った。主著に『グラマトロジーについて』、『声と現象』、『葉書』など。
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注10:東浩紀(1971〜 )
批評家、哲学研究者。若干23歳の時に「批評空間」誌上でデビュー。1998年『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』を刊行。浅田彰の「私は『構造と力』が完全に過去のものとなったことを認めたのである」という推薦文がニューアカ世代に衝撃を与え、若き論客として一躍注目を集めるようになった。同書で1999年度のサントリー学芸賞受賞。『エヴァ』論をはじめ、サブカルチャーについての論考でも知られる。その他の著書に『郵便的不安たち』、『動物化するポストモダン』など。
十五夜が触れている〈葉書〉〈郵便的〉という語について。世界をひとつにまとめあげる「大きな物語」が失われたことにより、現代社会は断片化(〈ポストモダン化〉)している。そのような社会の中でジャンルを横断するようなコミュニケーションは困難である。そこで私たちが受け取る情報はまるで差出人不明の〈葉書〉のようなものであり、また私たちが外にコミュニケーションを試みることもどこかに〈葉書〉をだすようなものだ。このように断片化した社会のコミュニケーションは〈郵便的〉であり、私たちは一体だれに対して〈葉書〉だしているのだろうか、果たして誰かが〈葉書〉を受け取っているのだろうかと〈郵便的不安〉にさらされる。これがデリダ−東文脈における〈葉書〉〈郵便〉という隠喩の意味である。
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注11:
この当時は今井雅奈というラジオパーソナリティが家のBBSに来ていた。というか、名前を変えて今も来ている。深くはツッこまない。
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注12:佐野元春の「悲しきレイディオ」からの引用。1981年のセカンドアルバム『ハート・ビート』収録。アルバム曲ながら彼のライブの定番曲として人気が高い。2003年のベスト版『THE LEGEND-Early days of Motoharu Sano』にリ・マスタリング版が収録されている。↑
・文責
注1〜6、9、10、12=十五夜
注7、8、11=KOWA