「僕たちのラジヲデイズ」
投稿者:あらいきくと&ハーベスト 投稿日: 3月17日(日)05時47分18秒
ハーベスト「もうアニラジ(注1)っていうのも一時期の勢いはなくなっちゃたねえ」
きくと「アニラジと共に育ってきた僕らとしては、寂しい限りだね」
ハーベスト「うん、直撃世代だからね。いろいろと思い出の番組があるけど、まず語りたいのは?」
きくと「自分がラジヲの世界に入るきっかけになった番組について。僕は、“井上喜久子のトワイライトシンドローム”(注2)という番組に引き込まれた。金曜の26時30分という当時の年齢(中3)からすると、とてつもなく遅い番組だったなぁ」
ハーベスト「なんか深い時間の番組とかって思い入れが強くなるよね。俺は貴重なリスナーなんだぞ、みたいな気がしてきてね。“岩男潤子のプクプク・ペンギン・パーク”(注3)とかもそんな感じだった。パーソナリティと自分のプライベートな関係のような錯覚を起こすのが深夜ラジオのマジックなんだろうね」
きくと「そうそう。暗い部屋で周りに迷惑をかけないようボリュームを下げて、声を聴き漏らさないよう必死に聞いてた記憶があるよ。遅くまで起きることが当たり前になってしまった今では、決して味わえない感覚だね。ハーちゃんのラジヲ道にはいるきっかけは?」
ハーベスト「俺は小学生の時に兄貴が夜更かししてラジオを聞いてて、「なんかボクに秘密で面白いものを聴いてるんだ」って思ってね。兄貴の世代は“三宅祐司のヤングパラダイス”(注4)だけど、俺は“伊集院光のOh!デカナイト”(注5)を聞いたのが最初。でもアニラジは友人(たつきとKOWA)からの影響で聞いた“もっと!ときめきメモリアル”(注6)が決定的だったな」
きくと「たつきくんとKOWAくんに影響されたのは、僕も同じ。最初“佐竹・林原の覇王塾”(注7)という番組を教えられて、毎週それを聴いていたら、いつの間にか同じ金曜日の後ろの番組、ほかの曜日の番組を聴くようになっていったんだっけ」
ハーベスト「“ときメモ”に関してはさあ、あいつらハマりまくってたから聴かないと話題についてけなかったんだよ。……まあ、俺もハマったんだけどさ(笑)」
きくと「パワフルな伝染病だったよね(笑)。あの番組には、何か特殊な魔力があったように思えてならないね。特に、14・5の少年を取り込んでしまう強力な魔力が」
ハーベスト「さっきプライベートな関係って言ったけど、逆にラジオの向こうに大勢の仲間がいるんだっていう連帯感もあるじゃない。だから恋愛相談のハガキとかもまるでクラスメートの打ち明け話を聞くような親近感があってね。あのころの丹下桜はローティーンのスクール・カウンセラー状態(笑)」
きくと「中心にパーソナリティーがいて、その外側でリスナーが大きな輪を作っているっていう、そんな感覚があったよね。ハガキを出すことによって、ますますその感覚が強くなっていくっていうのも、ラジヲの醍醐味のひとつだよね」
ハーベスト「なんにせよ、あの番組はみんなで聴くものだったんだよ。で、俺はたつきやKOWAより聴き始めるのが遅かったから、実はくやしかったんだよ。その気持ちが「じゃあ俺はハガキを採用されてみんなを驚かせてやる!」っていう情熱になった(笑)」
きくと「そんな思惑があったとは(笑)。ハガキを出したことは僕も何度かあるけど、さっぱりだったなぁ(泣)」
ハーベスト「いやあ、ハガキを出しただけでも、読まれるかもしれないっていうドキドキがあって、また格別の聴取感覚が得られるじゃない。採用されればもっとうれしいけど。“ときメモ”で読まれた時はラジオの前でガッツポーズしたもんな(笑)」
きくと「確かに、自分がハガキを出した番組を聴くときは、妙に高揚した気分で聴いていたっけなぁ(笑)。お風呂でラジヲを聴くことも多くて、そこでハーちゃんのハガキが読まれたのを聴いて大爆笑したのは、本当にいい思い出です(笑)」
ハーベスト「たつきはお風呂で聴いてて鳥肌が立ったって言ってた。まさにしてやったりだよ。あっ、しまった。ハガキを読まれたのは十五夜クンの方じゃん!(笑)」
きくと「僕がラジヲから得たものは、本当に大きい。それは、たつきくんや、KOWAくん、それにハーちゃん(十五夜殿)もそうだと思う。ラジヲによってもたらされた共通の「言葉」に、僕らはいくつの感動を得ただろう!」
ハーベスト「うん。アニラジがどうなろうとその気持ちは消えないね。それにさあ、深夜ラジオから何か特別なものを受け取れるのは、思春期の特権なのかもしれない。結局はクイーンの歌にあるとおりさ。『Radio,someone still loves you』ってね!」(注8)
注1:アニメ・ゲーム系のラジオ番組をこのように呼ぶ。現在は廃刊となっている〈アニラジ〉情報誌「アニラジ・グランプリ」が取り上げていた番組の傾向から考えると、@アニメ・ゲーム・マンガの情報番組、Aアニメ・ゲーム・マンガ作品のタイアップ番組、B番組スポンサーがアニメ・ゲーム・マンガ系統の会社、Cパーソナリティが声優、という4つの条件をひとつでも満たしていれば〈アニラジ〉に分類される。例えばラジオファンにはよく知られる“ラジオはアメリカン”は〈アニラジ〉という言葉が生まれるはるか以前から続く伝説的長寿番組であり、アニメやゲームの話題とはほとんど関係のない内容であったが、スポンサーがナムコであるがゆえに「アニラジ・グランプリ」の番組表に入れられていた。あるいは、ごく普通のFMの電リク番組でもパーソナリティがバズーカ山寺(山寺宏一)であれば同誌の対象となっていたのである。しかし一般的にはやはり@、Aの条件に当たる番組を〈アニラジ〉とする用法が普通である。
なお〈アニラジ〉は、土曜や日曜の深夜帯、あるいは一週間を通した特定時間の帯枠に集中して提供されることが多く、そのような時間帯を〈AGゾーン〉と呼ぶ。↑
注2:“井上喜久子のトワイライトシンドローム”は文化放送金曜26:30〜27:00に放送していた番組。1995年春〜秋まで放送。この番組の終了後、そのまま“井上喜久子の瑠璃色アクアリウム”に移行し、こちらは95年秋〜96年3月29日まで放送した。
“トワイライトシンドローム”は、PSソフト『トワイライトシンドローム』のタイアップ番組で、制作会社ヒューマンの提供だった。同ソフトはホラーアドベンチャーゲームで、番組の内容もホラー色を前面に打ち出した構成になっており、リスナーの恐怖体験談のコーナーやゲームソフトの内容を元にしたラジオドラマなどが番組の核だった。
パーソナリティを務める井上喜久子についてご存じの方は、ホラー系の番組を彼女がいかにして進行していたか、全く想像が付かないであろう。実際にはリスナーの「夜中金縛りにあって、死んだおばあちゃんの幽霊に首を絞められたんです!」というような内容の恐怖体験ハガキにも、「でもね、おばあちゃんがそんなことするはずがないと思うの。きっと、○○くんに頑張ってって言いたくて、肩を揺さぶっていたんだよ、きっとそう、そうに決まってる!」というような反応を返し、そのキャラクターを存分に発揮してホラーをほんわかムードで進行するという離れ業をやってのけていた。
また、番組には制作会社ヒューマンからゲームの宣伝のために「メガキラさん」という人物が毎週登場していたが、井上喜久子となかなか面白いトークを展開していた。
一年間を通した放送の最後にあたる“瑠璃色アクアリウム”最終回に、彼女は自らの結婚を報告している。お相手は、高校生時代の同級生とのこと。またしばらく仕事を減らす旨の発言があり、そのときは公にしていなかったが愛娘ほのかちゃんの出産時期からも番組終了は彼女が産休にはいるための準備であったことが分かる。
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注3:“岩男潤子のプクプク・ペンギン・パーク”はTBSラジオで1995年秋〜97春にかけて日曜25:30〜26:00(96年春〜97年春には日曜24:30〜25:00)に放送された番組。略称“プペパ”。パーソナリティは岩男潤子と池澤春菜の二人であった。岩男潤子は井上喜久子とのユニット‘おさかなペンギン’でようやく知名度が上がってきた頃で、池澤春菜にいたってはラジオ“バーチャファクトリー”のリスナー以外にはほとんど無名の存在だった。言い換えれば、岩男潤子が元セイント・フォーで、池澤春菜が作家福永武彦の孫かつ池澤夏樹の娘であることを知っている人は当時まずいなかった。番組タイトルは岩男潤子の‘おさかなペンギン’における「ペンギンの生まれ変わり」というネタからきている。番組開始のあいさつは「ペンギンニャ」だった。
岩男潤子が会いたい人をゲストに招く「プ・ペ・パ・トーク」のコーナーは、その趣旨に忠実だったためか野沢雅子、中尾隆聖などかなり渋めの声優が出演した。また、同業者ばかりでなく、ネスカフェのCMなどで有名なオペラ歌手の錦織健など、招かれるゲストの顔ぶれは意外かつ多彩だった。しかしリスナーからの要望がもっとも多く、そして岩男潤子との親交がもっとも深い井上喜久子が最後までゲスト出演しなかったというのはプペパ最大の謎である。また、新作アニメ&ゲーム・レポートのコーナー「春菜のプクプク情報局」というコーナーもあった。
しかしこの番組のメインはほとんどフリートークであり、いわゆる「ふつうのおたより」以外のハガキコーナーもなかった。それだけ岩男潤子と池澤春菜のやりとりが突出した番組であり、ツボにハマった二人が笑い転げるだけで一分間近く過ぎてしまうようなことが度々あった。それどころか、番組開始前に二人がケンカでもしたらしく妙にギクシャクした会話を繰り返す日もあり、リスナーはついつい彼女たちのプライベート空間に引き込まれてしまうというのがこの番組の特徴であったと言える。このギクシャクしたやりとりは、今でも囁かれる岩男・池澤不仲説の根拠となったと思われるが、この番組を毎週聴いていたリスナーならば「ケンカするほど仲がいい」という言葉の方に真実性を感じるであろう。
また、岩男潤子は96年春〜98年10月4日まで文化放送で“岩男潤子の少コミ♥ナイト”という番組もやっていた。こちらはおなじ日曜日の24:00〜24:30の放送だったのだが、野球中継で時間が30分ずれ込むと“プペパ”と完全に重なってしまうという事態がしばしば起きた。原因が野球だけに、ファンにとって悲劇的なバッティングであった。↑
注4:“三宅祐司のヤングパラダイス”はニッポン放送がラジオのゴールデンタイム月−木22時〜24時に放送していた夜ワイド番組。1983年春〜1990年4月放送。通称“ヤンパラ”。“オールナイトニッポン”とあわせてニッポン放送の黄金時代を築いた人気番組で、三宅祐司を一躍有名にした番組でもある。当時、若者から圧倒的な支持を受けており、三宅自身がコントの中で「どうせ裏番組なんか誰も聴いてねえよ」と言い放った。人気コーナー‘あなたも体験!恐怖のヤッちゃん’は本として出版されヒット。さらには映画化までされた(87年・東映『恐怖のヤッちゃん』、監督:金子修介、脚本:一色伸幸!)。また、この番組はある世代の共通体験ともなっていて、映画『ぼくらの七日間戦争』(1988)の中で主人公たちが“ヤンパラ”を聴いている場面がある。↑
注5:“伊集院光のOh!デカナイト”はニッポン放送が月−木22時〜24時に放送していた夜ワイド番組。1991年3月〜1995年4月放送(なお番組表上、別番組の“伊集院光のOh!デカナイト フライデースペシャル”が金曜の同時間にあり、こちらは1994年10月に一足早く終了した)。通称“オーデカ”。“ヤンパラ”終了後、“内海ゆたおの夜はドッカーン”が見事にコケたため、それまでオールナイトニッポンで人気を獲得していた伊集院を夜ワイドに抜擢することでニッポン放送が挽回を図った番組。今から振り返ると93年の時点で裏番組にTBSラジオ“岸谷五郎の東京レディオクラブ”、文化放送“斉藤一美のとんカツワイド”という長寿番組が揃っているので、この激戦区を制していた伊集院の人気は賞賛に値する。充実したハコ番組もリスナーの支持を得ていた。また、この番組は打ち切りになった理由も伝説的である。ある時、生放送開始直前に伊集院がふざけて机の下に隠れ、スタッフが「伊集院さんがいない!」と大騒ぎ。急遽局アナを呼んで放送を開始した途端、机の下の伊集院がアナの足に噛み付き「イッテェー!」と叫んでOPとなった。ギャグとはいえ周囲に多大な迷惑をかけたこの一件が大問題となり伊集院と製作サイドとの関係が悪化、番組は打ち切られた。
だが話はこれだけでは終わらない。“オーデカ”が終了した春の改変期に、ニッポン放送の間隙を突いたTBSラジオは同局で地道に人気を得てきた宮川賢を夜ワイドに投入。秋には深夜帯に伊集院を引き抜くことに成功し、他にコサキン(小堺一機・関根勤)、千原兄弟などを配した“ミッドナイトレディオ UP'S”をスタートさせ一気に攻勢をかけた。この作戦がドンピシャで、以降のニッポン放送の夜ワイドは鳴かず飛ばず、伝統の深夜番組オールナイトニッポンも構造改革を余儀なくされた。つまり伊集院がニッポン放送からTBSラジオへ移った95年は、80年代から長らく続いたニッポン放送一人勝ち状態の崩壊した年であり、ラジオ史的には自民党が政権を失った55年体制崩壊のような意味を持っている。ある意味で、あのオールナイトニッポンを終わらせたのは伊集院光であると言っても過言ではないだろう。↑
注6:“もっと!ときめきメモリアル”は文化放送で土曜の24:00〜24:30に放送された番組。95年4月6日〜96年3月30日放送。パーソナリティは丹下桜。オープニングの第一声は「みんな〜、ハートときめいてる?」、エンディングのセリフも兼ねた番組全体の合い言葉は「あなたのハートにときめきLOVE」。ゲームソフト『ときめきメモリアル』のPS版発売に合わせたタイアップ番組で、コナミ提供枠として“ツインビーPARADISE2”の後番組という形でスタートした。
番組のメインは『ときめきメモリアル』のラジオドラマ放送である。当初はドタバタギャグを繰り返していたドラマが次第にシリアスなすれ違い恋愛物へと展開していった様は、リスナーの感情移入を高め、ラストにいたって本気で感動に導く見事なシリーズ構成であった。アニラジ番組が増加するにしたがってラジオドラマは粗製濫造されるようになるのだが、この『ときメモ』はアニメと等価値で良質に作り込まれたラジオドラマの最後尾に位置する。
しかしなんと言ってもこの番組の成功は丹下桜の存在にあった。彼女の感情を込めたオープニングポエムは多くの男子中高生を悶絶させ、リスナーの愛の告白を彼女が代わって伝えてくれる「放課後の告白」コーナーは嘘か誠か「おかげで好きな人と結ばれた」などという感謝ハガキを多く呼び込んだ。個人的な思い出を含めて言わせてもらえば、学校に行って月曜の朝には『ときメモ』のラジオについて、木曜の朝には『新世紀エヴァンゲリオン』について語るのがこの時期のオタク少年達の生活サイクルであった。番組は当初半年間で終了するはずだったが、結局このような熱狂的な支持に押されて2クール延長された。その背景にはPS版『ときめきメモリアル』が予想以上にヒットしたこともあるだろうが、それでもタイアップのラジオ番組が延長されるというのはまさに異例の事態と言わざるをえない。
本文で触れているように十五夜はこの番組でハガキを採用されている。「伝説の樹管理委員会をつくってみんなの告白のスケジュール調整をします」というようなネタで、96年2月ごろの放送で読まれている。また十五夜はドラマCDの全巻購入者特典として貰えたプレミアムCD『もっと!ときめきメモリアル Dear Twelve』の中で、なんとオープニングポエムを採用されている。もしこのCDを持っている人は確認して欲しい。そんな人はそうそういないと思われるのが十五夜にとって唯一の救いである。しかし、本来ハガキの採用者が貰えるはずの「きらめき高校単位認定証」は結局送られてこなかった。番組内で丹下桜が「今日読まれた方には七単位差し上げますね」と言っているのに。ハガキ採用の興奮を味わった十五夜が唯一救われない点である。
なおこの番組には“CLUBときめきメモリアル”という後継番組があり、こちらは文化放送、金曜24:00〜24:30、97年春〜98年春の放送で、パーソナリティは同じく丹下桜、アシスタントに「'96コナミときめきティーンズコンテスト」グランプリ受賞者の栗林みえを配していた。番組の合い言葉は「さくらといっしょに……ときめくハートをCATCH UP!!」。しかし番組としてはコーナー内容を刷新したものとなっていて、以前からのリスナーの評価は微妙なところであった。
そして現在、2002年の8月3日より文化放送、土曜の24:00〜24:30に“もっと・モット!ときめきメモリアル”が放送中である。パーソナリティは『ときメモ3』のメイン・ヒロインを演じた神田朱未。オープニングポエムあけの番組第一声は「みなさ〜ん、ハートはもえもえ、ですか?」だったのだが、最初の数回は神田嬢の台本解釈が不安定で、毎週微妙にニュアンスが変わっていた。結局「みなさん、ハートもえもえですか?」という形に落ち着いたようだ。番組の合い言葉は「あなたともえもえ、ときめきLOVE」である。ゲームの『ときメモ』1〜3までを範疇に入れた内容は、新作を追いかけているファンだけでなくオールド・ファンの期待も集めている、とあえて記してこの注釈を終えたい。
(※追記:十五夜は同番組の8月31日放送の回で、またしてもオープニングポエムを採用された。放送日を計算に入れ、一行目を「夏休み最後の日……」で始めるというあざといテクニックを使い、本人は投稿した時点で採用を100%確信していた。なお、リスナーに男女不詳を装うためにこの時のペンネームは十五夜智(じゅうごや・とも)としていた)
(※追記2:さらに十五夜は同番組9月14日放送の回でもポエムを採用された。本人曰く「今までで一番恥ずかしい内容」の作品。神田朱未嬢は「なんかコレ、男性が書いたのかな、女性が書いたのかな?」と発言し、十五夜の意図した男女不詳のペンネームは見事に功を奏した)↑
注7:ここで言う“佐竹・林原の覇王塾”(正式な番組タイトルは“佐竹雅昭の覇王塾”)は、文化放送で主に金曜24:00〜24:30(最初期の93年10月〜94年春までは日曜22:00〜22:30)に放送していた番組。同番組は1993年10月17日から96年春にかけて放送され、そのまま“佐竹雅昭の覇王塾F”(96年春〜97年4月4日に同局同時刻でOA)“佐竹・林原の無法塾”(97年春〜99年4月4日に同局にて頻繁に時間帯を変更しつつOA、97年春に火曜21:30〜22:00でスタート、97年秋に火曜21:00〜21:30、98年春に土曜22:30〜23:00、98年秋に21:00〜21:30。ただし野球中継に押されまくっていたので実際のOAタイムはこの通りではない)と番組名、放送時間帯を転々としながら続いていった。
講談社のゲーム専門誌『覇王』を掘り下げるため誕生した番組は、オタク格闘家佐竹雅昭と人気声優林原めぐみの異色の組み合わせで話題を呼んだ。当初は雑誌の内容をよく反映しており、新作ゲーム情報が満載だったのだが、日がたつにつれてゲーム色が弱まり、佐竹塾長の暴走をめぐみ先生が止めるのを聴いて楽しむ番組に変わっていった。現実問題として、番組タイトル変更は雑誌『覇王』の『覇王マガジン』へのリニューアル(半分マンガ誌になった)、そして休刊の煽りを受けたものであり、ゲーム色が弱まっていったのは当然の帰結であろう。
また、この番組の放送中に、佐竹雅昭は映画『1、2の三四郎』に主演し、主題歌『GAN GAN』をリリース。番組では一時期、毎週のようにこの曲をかけていた。曲自体のインパクトの強さ(十五夜・注 / 佐竹の想像を絶する音痴もさることながら、英語詞の発音がひどすぎた)もあり、当時聴いていたのが強烈に耳に残っていて未だに1コーラス目くらいならふつうに歌えてしまう。そして佐竹はこれに懲りず、番組の企画として“佐竹雅昭の覇王塾F”放映中に、世紀魔UのACE清水プロデュースによるCDをリリース。佐竹雅昭のソロ6曲に林原めぐみソロ1曲、二人のデュエット曲1曲に、佐竹雅昭のテーマ曲『闘志天翔』のロングバージョンも納めた、非常に濃い内容となっている。また、その希少価値のため、曲をコンプリートしたい林原めぐみファンの壁となっている、曰く付きの一枚である。
番組が終わってしまったのは、佐竹雅昭自身の本業が忙しくなってしまったのが大きな要因だろう(十五夜・注 / というより、佐竹が正道会館を離脱しフリーの格闘家として「PRIDE」へ挑戦するのに先駆けて番組は終了している。むしろ、芸能活動を離れ六年も続けた番組をやめてまで本業で勝負を賭けようとしていた矢先に「K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦」(10月3日)での対武蔵戦で灰色の判定負け裁定を受けたことが、佐竹K−1離脱の最大の理由である)。番組自体の面白さは損なわれていなかっただけに、終わってしまったことが悔やまれる。願わくば、いつの日か復活して欲しい番組の一つである。↑
注8:この締めのセリフ自体はよしもとよしとものマンガ「東京防衛軍・第一部」(単行本『東京防衛軍』、『Greatest Hits+3』所収)のラストシーン「結局は遠藤賢司の歌にある通りさ / 嫌なら出てけよ俺は好きさ東京…ってな」へのオマージュ。引用したQUEENの曲は「RADIO GA GA」(アルバム『ザ・ワークス』、『グレイテスト・ヒッツVol.2』収録)である。↑