|
HPリニューアル記念特別企画 「電子往復書簡 『Kanon』〜最後尾の旋律〜」 第四回 「人魚姫はもう足をほしがらない」 2002/9/14 KOWA |
すべてを解きほぐしてから、見えてくる何かだってきっとあるはずです。ライトユーザーとヘビーユーザー。純文系と純理系。プレイ直後とプレイ三年後。様々なアンビヴァレントの要素が絡み合ったからこそ、この書簡はまだまだ続いていけるのです。 さて、十五夜君からの書簡によって、このKanonという物語が持つ全体的な「風」のようなものはほとんど語られたと思います。まだまだ折り返し地点にようやくたどり着いた頃だというのに、ここまで話が進んでしまっていいものかという声が挙がりそうですが、私はむしろこの流れを非常に好ましく思いました。なぜなら、たった一人のヒロインに焦点を当ててああだこうだと批評するだけでは、ただの文章の集合体になってしまいます。あえて全体像をきちんとした形でとらえてこそ、この書簡はようやく始められるという物ではありませんか。 |
|
さあ、ここからが本番です。十五夜君の指摘の通り、栞の受け持つ物語は月宮あゆという存在がいて初めて成り立つ事柄です。ヒロインとなりうるキャラクターが片方の出会いのシーンで鉢合わせるという展開は、ゲームならではの面白さともいえましょう。なぜならこの時点からユーザーは三角関係の「どっち」という決断をゆるやかに迫られていわけですから。 私はKanonは物語としてでも(小説などでも)いいんじゃないかという意見をちらほら聞いた事があります。現にこの作品はアニメ、漫画、ノベライズ、ラジオと様々なメディアミックスが行われ、関連商品も多々存在します。これらの様々な関連商品について私は一つも手を出していないため、ここで我々が推測している事に対しての答えが、何らかの形で世に出ている可能性は否定できません。また、この作品のゲーム性の低さはたびたび耳にする意見で、世間の「どのメディアでもよかったんじゃないか」感に対して肯定意見を述べる人たちの気持ちもよくわかります。しかし、私はその否定案として、このあゆと栞、二人の関係を提示したいのです。 これは私の憶測にすぎませんが、制作者サイドはこのゲームの企画を練ったとき、名雪・あゆの2キャラクターをまず決定した後、あゆと対になる存在、すなわち栞を構想し、あゆ、栞、名雪の順でシナリオを書いたのではないでしょうか。この場合舞と真琴に関してはどのタイミングでシナリオ案が立ち上がっても不思議ではありませんが、この三人の順番だけは先程述べたような仮説が立てられます。なぜなら栞編でのあゆの存在は大きな物ですが、あゆ編での栞は何の意味もなしていないこと。それでいて栞編にはあゆが不可欠だというポイントです。ですがそれらの考えを含めた上でも、Kanonのゲーム本来のもつ持ち味は正直薄いと言っても過言ではありません。しかしこの月宮あゆの起こす奇跡のパラレルワールドを表現するには、やはりゲーム以外のメディアは私には考えられないのです。そう言った点においてはほかのヒロインとのつながりがさらに希薄で、それこそゲームにする意味のない他の一般的なギャルゲーと呼ばれる物と、Kanonが一線を引いたといってもおかしくないとは思いませんか?と、ギャルゲー初体験の十五夜君にそんな質問をしても意味がないですね。 |
|
さて、話を栞に戻しましょう。十五夜君はあゆと栞の対となる点について、ストールとダッフルコートを提示しましたが、私はそれに追加して、栞の好物がアイスクリームである事をあげておきます。理由は十五夜君の述べたとおり、暖かさと冷たさの相反する二つの物の示す「何か」をユーザーに感じ取らせようとしている事は誰の目からも明らかであり、またこのことについては別のヒロインたちがそれぞれ持っている好物を見ることでその食べ物がいかなる位置に存在するかがよくわかります。甘いたいやき、かわいらしいパフェ、冷たいアイスクリーム。あたたかい肉まん、無骨な和食。これらそれぞれは各ヒロインの持つ独特の空気をしめし、また「うぐぅ」「○○だよ」「そう言うこという人嫌いです」「あうー」「嫌いじゃない」と、各ヒロイン頻繁に使う口癖(舞のは微妙ですが)で、各人のキャラクター性を密に高めているといえます。 もっともこの口癖=キャラなどの手法は私から見ればとても安易なやり方であり、あまり手放しにほめられた物ではありません。このことについては十五夜君が第三回の書簡で指摘した「運命を具現化しすぎた」点とまったく同じ意味を持つ指摘だと思います。本来ならこれらの要素をあそこまで露骨にする必要は無く、その理由としてこのKanonを最初にやった人間は18歳以上であることが前提であり(その頃はまだ18禁のアダルトゲームだったので)、その程度の年齢になった人間であればここまでしなくともそれらを読みとれないような人間はまずいないという点が挙げられます(現に私が初めてプレイした時、私は18歳でした)。とは言う物の、これらメディアミックスが行われた先駆けとなる「全年齢指定版」からこれらのアイテムを増やす。という行為が行われたとしたら私は真剣にその見事さに驚愕したと思いますが。 |
|
どうも話が横道にそれ気味です。きちんと栞のシナリオについて書きましょう。十五夜君の指摘は、栞の「不治の病」という設定がもつ軽薄なイメージをうまく指摘したといえます。そんな中、私が栞編でもっとも興味深く、今でも印象に残っているシーンはビジュアルノベルの持つ強みを見事に引き出している部分です。そのシーンとは、祐一と栞が名雪・香里の二人とパフェを食べるシーン。 拒まれた妹と拒んだ姉。その二人がどこかギクシャクしながらパフェを食べるこの場面には、なぜか一切のビジュアルがありません。絵を主体にしたゲームで絵をなくすと言うのは、それら情景をすべてユーザーの想像に任せるのですから、多用は出来ず、ここぞという場面で使われるとても重要な位置にあるとだと私は感じます。では制作者なぜこのシーンを選んだのか? 4人もの登場人物が様々な言の葉で話を交わす様子をすべてユーザーに任せたのは大きな冒険です。しかし、それだけこのシーンではユーザーに考えて、想像してもらいたかったのです。その残酷さと、その優しさを。 もしこのシーンに普通に絵があったとしたら、それはありふれたつまらないシーンになっていたでしょう。なにせ原画氏も原画氏ですので、キャラクターたちの微妙な表情などはとても描けなかったと思います。また、開発状況から見て時間がなかったからここのCGが用意出来なかったのでは、という指摘があがりそうです。しかし私が確認した時点では、全年齢指定版のKANONにもやはりこのシーンのビジュアルは用意されておらず。制作者が意図的にこのシーンのCGをはずしたことは明らかです。(DC,PS2版については未確認) さらに加えるとしたらこのようなシーン(グラフィックをはずすシーン)はゲーム中何度か登場します。しかしそのほとんどが回想シーンであったり、使用されたとしても一瞬であったりする事。それだけこのシーンが私の目から見て、非常に特殊であった事を指摘しておきます。 |
|
さて、今まで上記した点を除けばこの栞編というシナリオは最もKANONの中で「平均点」に位置する物語ではないでしょうか。 運命の絡ませ方や、他のキャラクターとのやりとり、また主人公祐一の心情の変化なども非常に上手に出来ており、とても丁寧なシナリオだと私は思います。 しかし逆を返せばに丁寧に書くために、お約束的要素をふんだんに盛り込む事となり、その結果多少インパクトに欠けてしまったシナリオ、という印象がやはり強くなります(この辺りの指摘に関しては十五夜くんの指摘の通りだと思います)。この栞編について我々が論点とした「お約束的要素」や「丁寧さ」という点に置いて、最も対極に位置するシナリオが何かと聞かれたら、それは舞編では無いでしょうか。 |
|
舞編はまるで「KANON・番外編」と言っても良いくらい他のシナリオとの関係性が全くなく、またシナリオ展開も「主人公が夜、学校に行く→舞と会う」があきれるほど繰り返されます。 もちろんシナリオが進むにつれて多少は他のキャラクターとの絡み(名雪と学校で会うとか)もありますが、極論を言ってしまえばそれらのシーンは不要であり、祐一、舞、佐由里の三人がいればこのシナリオは十分なのです。 また、舞だけが夜の学校という、ある種隔離された状況で主ストーリーが進む事もあり、この舞の持つ役割がどのような位置にあるのかはよく考える必要があるようです。この比較をするにあたっては、まず、舞が他のヒロインたちとどのような共通点を持っていたかを考える事から始めましょう。 舞は刀を振りかざし、異形の「何か」と毎夜戦いを繰り広げているわけですが、ここには心情的な意味として他のヒロインと同じ点が見うけられます。なぜなら舞を含めた全てのヒロインは、主人公と出会った時から常に何かしらから「恐怖して」および「逃げて」おり、それを主人公に隠すため何かしらの「フリ」をしているという点です。この点についてはあゆ、舞の二人は過去から。栞、名雪の二人は現在から。そして真琴はこれからくる未来から逃げていると言えます。 これはKANONに共通している出来事でありこのヒロインたちの健気な姿が、彼女たちを魅力的にしている要因とも言えましょう。 |
|
では舞編は一体何が違うのか。 |
|
舞はとにかく「逃げる」という行為に関しては全てに置いて徹底しているのです。異形の何かと戦うために他の人間との関わり合いから逃げ、好きになった祐一からも無口になる事で深い関係になる事から逃げ、何かを忘れるために主人公に抱かれ、そしてその戦いまでもが自分の過去からの逃げだった、という事です。 これらの徹底した逃げを見れば、舞台を夜の校舎に移し、他のヒロインとの関わり合いもほとんど無い事について、説明が付きます。夜の校舎は舞という人間の心の砦とも言えるのです。 つまり剣の腕前とは裏腹に、精神的な面で最も脆いまま成長してしまったヒロインが舞であり、その欠点が同時に彼女の魅力と相成ったわけです。 この剣の鋭さと、砂糖菓子のような心の脆さを同時に持った女性という設定は非常に面白い物だと私は感じています。なぜなら、過去に私が見た様々な物語には「腕っ節が強くて、真のしっかりした女性」や「腕っ節が強いけど、弱い一面も見せる女性」などは見かけた事があるのですが、ここまで両極端な設定のキャラクターは出会った事が無いからです。もっとも、過去にそのような事をあつかった作品はいくつかあるのでしょうが、特に心当たりも無いので、記する事は出来ません。こういった事は十五夜君にお任せした方がよいのでしょうか。 この「心の脆さ」と言った点について、真琴を比較に出す事も出来ますが、本質的に真琴は「子供」であり、学生である舞を比較対照にするという事は御門違いな気もしましたので、ここではそのことについて論じるのは控えたいと思います。 |
|
とは言った物の、真琴編と舞編についてはそれとは別のとても興味深い相違点があります。それは佐祐理と美汐の存在についてです。精神的に非常に弱い舞がどうやって学生生活を今まで続けてきたか。その事は佐祐理がいて初めて説明が付きます。それと同等とは言えませんが、真琴編における美汐は、真琴を現世につなぎ止める協力者として非常に重要な役割を担います。 これら二つの点から、舞・真琴編については祐一にとって非常に重要な「協力者」の存在があるのです。もちろん、物語を総括して「秋子さん」という大きな協力者の存在があるのもまた事実ですが、彼女の存在は「母親」の象徴と受け止められ、「恋人」であるヒロインの「理解者」の象徴とは厳密には違うと言えます。 さて、話の照準をあえて舞に絞るのであれば、佐祐理について少し論じなければならないようです。この佐祐理という少女の存在は何もかもから逃げている存在である舞とは正反対に、明るく、朗らかな印象を受けます。しかし、物語が進むにつれて、佐祐理の過去の話が出る部分があります。それは全く別の「エンディング」として用意されたシナリオになっており、KANON全体から見れば隠しシナリオにあたる特別な扱いになっています。 そのシナリオを見ればわかるのですが、佐祐理には過去に辛い思い出があり、それを乗り越えた結果が、今の明るい彼女を形成すると同時に、はかなげな存在である舞を守ろうという決意を生み出した事が伺えます。 この「過去に何かを乗り越えた存在」は舞編の佐祐理と真琴編の美汐に共通した事ではないでしょうか。この事をふまえてしまえば佐祐理編が「隠しエンディング」として扱われていた事も綺麗に説明が付けられます。なにせ、彼女には乗り越えた強さがもうあるのですから。 |
|
私は栞・あゆ・名雪の三人と、舞・真琴の二人はある種のグループ分けが出来るな。と当時から思っていました。もちろん舞と真琴の本人同士は全く物語上かする事すらないのですが、この「協力者たち」の存在が彼女らのシナリオを非常に近しい存在にしているのではないかと感じるのです。 |
|
さて、これらをふまえた上で舞編の良い点と悪い点を指摘するのであれば、それらはまず名雪編で十五夜くんが行ったような、主人公の感情という目から見てみると面白い事になりそうです。 舞編における主人公の心情が非常にわかりやすく、良い点としては夜の学校に行くか否かを何回もプレイヤーが選択する事が出来る事です。他のシナリオではシナリオの流れ上「さて、ここではどうする?」といった状況判断を迫られるのですが、この舞編における「夜の学校に行くか否か」は、明らかに自発的要素が他の物と比べて高く、プレイヤー本人の判断を煽っているとは言えませんでしょうか。ああ、今日も舞に会いに行きたいなと、プレイヤーが舞に興味を持つと同時に相沢祐一も舞に興味を持っていく。それが非常に良い点だとは言えないでしょうか。 |
|
しかし、そのことが逆に仇になってしまうシーンが、校門で主人公が舞に告白する場面です。 プレイヤーが舞に興味を抱き、佐祐理からさまざまな事を教えられ、楽しい日常になってきたとたんの出来事がこのイベントですが、このシーンで突然主人公が「でも、俺はおまえの事大好きだからなっ」と告白をしたとき、私は多少ならずともびっくりしてしまいました。あ、祐一って彼女の事好きだったんだと。 私がこう感じたのは「主人公が舞に興味を抱く」過程がとてもスムーズに書いてあった事に比べ「主人公が舞に恋愛感情を抱く」過程は空っぽだったからです。 この事に関しては十五夜くんが指摘したあゆ編においての「運命装置に酔っている」状況と非常に酷似しています。このときの祐一は私にとって「異常状況に酔っている」ように見えるのです。つまり、夜の校舎で密会し、誰にも知られていない事を二人で行うという非常識的な環境を祐一が恋心と勘違いしているのではないかと思うのです。 これはノスタルジアを十五夜くんが否定するのと同等に私が否定したい部分の一つです。異常状況下に置かれたときに共に行動していたからと言って、それは[=恋]という安易な方程式に結びつけてはいけないのではないかという事です。この手法はB級のアクション映画程度のストーリーであり、ここでそれを使ってしまうのはどうかという事にあたります。 |
信頼は恋ではない。 慈愛は恋ではない。 |
|
この言葉は舞編と、真琴編に深く根付いてしまっている嫌な部分を取り払う鍵になりはしないでしょうか。 |
|
そのような事をふまえつつ、この続きは十五夜くんに託してみたいと思います。 またも酷く長くなってしまいました。お返事をお待ちしております。では。 |
|
「第五回 恋人達の黄金律」へ トップページへ |