|
HPリニューアル記念特別企画 「電子往復書簡 『Kanon』〜最後尾の旋律〜」 第二回 「アラジンは言った。魔人よ、君に自由を」 2002/6/13 Kowa |
|
初回から気合の入った内容、こちらもやる気が出てきますね。なにぶん往復書簡という形でこういった事を経験したことの無い私ですので、色々見苦しい点もあるかもしれませんが、もともと純文系の十五夜君と純理系の私が文章の出来で張り合おうというほうが間違っているような気もするので、少々の乱筆乱文はご容赦を。 |
|
さて、まず私が提示しておきたいのはこのkanonが発売された当時、パソコンのいわゆる18禁ゲームがどういう傾向にあったかを言う事です。 3年前に発売されたpc版kanonに私が出会った頃は、後にpsでも発売されたleaf作品「to heart」が発売されたり、f&cからの人気作「piaキャロットへようこそ!2」などが発売されるなど、老舗であったエルフやアリスソフトといった会社のスタンスであった「ゲーム性、エロ度両方重視」の作品よりも「お手軽簡単、可愛いキャラ重視」のいわゆる「ギャルゲー」が世の中に(凄く狭い世の中に)広まっていた時代でした。私はとにかく老舗の会社であるアリスソフトなどのスタンスが好きで、「ゲームが面白くなくては意味が無い」と、世の中の風潮に石を投げるような事を声高らかに言っていました。(現に今でもそう考えています) ですが私には「やりもしなかったゲームを批評するな」という信念がありまして、とりあえず触るだけ触って、(ギャルゲーで言うところの「2,3人攻略して」)ああだこうだと文句をつけるという、非常にひねくれたプレイスタイルを貫いてきたため、最新のゲームであろうとも、それらゲームの情報の蓄積はかなりのものでした。そんなひねくれた私だからこそ、このkanonというゲームにいち早く出会った事はなんら不思議でもなく、プレイしたきっかけも、友人が「とりあえずkowaに先行してやらせればそのゲームに対するおおむね的確な評価が得られる」といった形で手渡してきた物だったのです。 |
|
そんな私がkanonは名作だ!と声を挙げたのがおよそ三年前。kanonが爆発的な人気を得るのがその数ヵ月後です。十五夜がさらにその三年後にプレイする。という状況はそれだけで私達にとって面白いのですが、さてこの往復書簡がどうなることか、私にも想像がつきません。 |
|
さあ、前置きはこのくらいにして本題である書簡に入りましょう。まず十五夜君がkanonをプレイするにあたり、たつき氏、そして私の意見を参考に順番を決めた、といっておりましたが、その結果得られた順番は最善に限りなく近い順番だったと思います。 私が「あゆシナリオを最初にやってくれ」と言ったのには「栞ルートはあゆルートの後じゃないと意味が無い」など、私なりの理由が多々ありましたが、「名雪シナリオをどこにするか」を明確に提示できなかったのには、一つの理由として私自身が名雪ルートを最後に遊んだからという事が挙げられます。 そもそもこのゲームのプレイスタイルとして最初に女の子ありき、ですから、十五夜君の指摘した「最も主人公に近しいシナリオ」と言った意味では名雪ルートは最初にやっておくべきだったのでしょう。しかし、私が「このシナリオが最もつまらない」と言った理由の一つとして、「一番わざとらしい」という事を思いました。この手のゲームでわざとらしさをなくせと言ったら、それはおおよそ不可能なのですが、(現にあゆですら主人公と道端でぶつかったりしている)これを指摘するのには理由があります。さきほど書いたことですが、このゲームが発売された当時は様々な「シナリオ重視アドベンチャー系ギャルゲー」が世の中に出回っていました。そしてそれらのほとんどが「女の子と仲良くなっていくストーリーが展開するうちに主人公の内面描写に話が移行していく」というパターンで構成されており、もうそういったつくりの物語に私自身飽き飽きしていたのです。さらに、他の4人のシナリオを終えた時点で、準ヒロイン(と、私は思っている)である名雪のシナリオに過度の期待をもったこと等も重なっているのですが、「主人公が昔の記憶を無くしている」「だが名雪は主人公の事を覚えている」という、とてもおいしい設定があったにもかかわらずそれを生かしきれていないために「秋子さんが事故に会う」などの反則的要素をいれなくてはいけなかったのだと、初回プレイで私は感じました。 しかしながら十五夜君の指摘した点は至極もっともな点がみうけられます、相沢祐一という人間の視点を最も反映したシナリオとして、名雪ルートを展開させているという意見は見事です。しかしながら他のシナリオは全て「相沢祐一」ではなく「プレイヤー」の心境を大切にしているため、このシナリオは他と一線を引かざるを得ないとおもいます。その点を踏まえて名雪ルートは「一番最初にやるべき。だが他と比べて特殊」と指摘するのが最善なのではないでしょうか。 |
|
さて、君の言葉を借りるのであれば次は本質的なヒロインである月宮あゆについて書こうと思います。このゲームを取り囲む物語には「奇跡」の二文字がはずせないのですが、それらすべてはこの「月宮あゆ」の起こした奇跡であると言えます。もっとも、この設定は半ば強引に生かされている箇所もあり、きちんとそれがまとまっているのは、実質的に栞編だけだと私は思っています。(このことについては後に語りましょう) 月宮あゆは7年前の思い出と約束が生み出した悲しき幻です。このゲームでよくでてくるフレーズを使うのであれば、夢。シーンごとによく登場する「夢、夢を見ている」のフレーズは、祐一の心の声という意味だけではなく、むしろ月宮あゆの心象風景を祐一の言葉で語っていると考えた方がよいでしょう。楽しい思い出はやがて恋心に変わり、その人を想う心が奇跡を起こす。そんなストーリーが「kanon」の全体としてあるテーマです。そういった意味では名雪の物語はもっとも現実的に近しいと思いませんか。私が「わざとらしい」と書いたのも、むしろそのファンタスティックになりきれない故の無理がでてきてしまっている状況があるからなのです。また、kanonにおけるすべてのストーリーには、「奇跡」を起こすための「死」が必ず用意されています。人類が考え得るもっとも大きな奇跡は、やはり「逃れられぬ死からの再生」でありましょうから、これは死ぬと言うことを使ったドラマを作りたかったという安易な考えではなく、「奇跡」というテーマのために制作者側がポリシーとして「死」を使った結果であると考えています。しかし、そうそう奇跡というものは起きてはいけません。そのためにたった一人の天使が奇跡を起こすために用意されました。それが月宮あゆという存在なのでしょう。つまりkanonの織りなす5つのストーリーは、すべて月宮あゆの物語でもあります。天使は人を幸せにしてくれます。しかしそれは一方、天使に幸せが訪れるわけではないのです。その天使に「奇跡」がおきるからこそ、あゆはこの物語のヒロインとなるのではないでしょうか。 あゆは純粋無垢な天使の役割だからこそ、羽の生えたリュックを背負い、天使の人形を探し、別の女の子が好きになってしまった祐一と、その相手の女性を認め、そのための奇跡を起こすことも出来たといえます。しかし、その天使が見せた弱さ。すなわち「捜し物が見つかった」あゆが別れを告げることに対して、最後の最後で待ったをかけたのが、この物語のもう一人の主人公。相沢祐一なのです。 祐一が徐々に記憶を取り戻し始めたあたりから、kanonの物語は急展開を迎えます。とくに月宮あゆ編での記憶の取り戻し方は絶妙と言え、幼き二人の出会いから始まり、「ひとつめのおねがいは忘れないこと」「ふたつめのおねがいは二人だけの学校をつくること」と、記憶を取り戻していく課程が非常にスムーズに展開していきます。その中で祐一が思いだし、気がついていくのが「少女の死」であり、その結果、初めて(そしてこのゲームで唯一の)「相沢祐一」が起こした奇跡があのラストシーンだったのでしょう。天使である自分の役割に気がつき「みっつめのおねがい」をつぶやいたあゆ。それを知った上で「行くな」と言わず「忘れない」とだけ言った祐一。その二人の悲しいまでに美しい優しさが、このゲームを名作にしたのです。 さて、ここから先はあまり世間では論じられていない点です。それはこのあゆシナリオのラストシーン。なぜ「秋子さんの話を聞いて家から飛び出す祐一」のシーンでこの物語は幕を閉じなかったのでしょうか。本編では、その後に待ち合わせ場所で祐一を待つあゆの描写が入り、物語は終わります。 このシーンがなぜ入ったのでしょう。私の考えを書かせていただくのであれば、それは「人間」として存在するあゆを、もう一度書きたかったのではないでしょうか。この物語の中では回想シーンをのぞいて、あゆはすべて「天使」として扱われています。この「天使」はある意味、月宮あゆをとりまく呪縛であり、そこからの解脱を入れてこそ、この物語は幕を閉じられるのではないでしょうか。現にこのラストシーン。月宮あゆは別人のような格好をしています(あの象徴的なリュックも背負っていません)。たとえるのなら、ピノキオがゼペットに愛されたい一心で人間になるのを望んだのと同じように、月宮あゆという名の天使も祐一と一緒にいたい一心で人間になりたかったのです。 |
|
さて、長々と(本当に長々と)書いてしましました。 返事が遅れてしまいましたが、プレイから3年たった今でもこれだけかけるとは本人も予想外でした。 お返事楽しみにしております。では。 |
|
「第三回 だいじょうぶ、と彼は言った」へ トップページへ |